新宿毒ガス事件について
新宿毒ガス事件について
新宿毒ガス事件は私が止めました 己の超能力と守護霊の導きによって
この話をしても気違いのたわごととして耳を貸すものは一人としていませんでしたが 杉並区の名家のさるお方だけ聞いてくれたので
ここに書くことにします
私は北海道の会社の東京の転勤を望む方の募集に受かり上京したのです
その年も会社に受かる前に一度上京し漫画の持ち込みを小学館や集英社に持って来ました 確かな手ごたえを感じ上京したのです
その会社は平野にあり 直ぐに新木場に引っ越しました
彼女もできました 明治大学の文学部です あまりにも彼女はエリートなので劣等感を感じましたが 10年後 その文学部教授の齋藤磯雄と私は親戚だと分かったのです
さらに齋藤磯雄氏の姉は柴田錬三郎氏の奥様だったのです その柴田錬三郎氏と漫画原作者の小池一夫氏は子弟の中で私の会社の社長でもありました
柴田錬三郎氏は岡山県出身者で遠藤周作や吉行淳之介とも親戚だったし柴田錬三郎氏の姉の大伯父は清河八郎氏で東大名誉教授相良 守峯の親族でもあるのです
つまり東大出身者がぞろぞろいる 山形の清川村の齋藤一族だったのです
そして時は流れ1995年ゴールデンウィークの時 私は新宿ピ○デリーという場所でカーペットクリーニング業者でした 丸ノ内線の丸井の出入り口から入る毎日でした そして運命の日はいつも使わない出入り口に入り小をすますため丸ノ内線の汚いで有名なトイレを使いました
その時間が4時55分だったのです はいると散乱した新聞だけで誰もいませんでした 2人の同僚とおしゃべりする改札口の駅員
駅の改札員はもうサリン事件の後遺症はないみたいでした
次の日のテレビをつけるとあのトイレのことが出ていました
5万人を殺す殺傷能力の青酸が発見されました 自動出火装置は故障していました
サリン事件のときは 朝会社のテレビをつけるとバチバチといって火と煙が上がり消して寝てしまったのを思い出しました
12時過ぎに警備員が大変なことが起きているといって目が覚めて
火が吹いたテレビをつけると普通についた思い出がありました
これは実話なのです あの時いつも入らない改札を入ったのは霊の使いであったと思います
発火事件は5時発火だそうです