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手塚治虫 ブッタ考

手塚治虫 ブッタ考


手塚氏は 自分が描くブッタについて 概要を述べている
シッダルタのありがたさとか、シッダルタの教えよりも人間そのものを掘り下げたい。仏陀の生きざまを、ぼくなりの主観を入れて描きたかった。しかし、仏陀の生きざまだけでは、話が平坦になってしまうでしょう。その時代のいろいろな人間の生きざまというものを並行して描かないと、その時代になぜ仏教がひろまったか、なぜシッダルタという人があそこまでしなければならなかったか、という必然性みたいなものが描けません。ですから、仏陀とまったく関係のないような人を何十人も出して、その人たちの生きざまもあわせて描く。そのことによって、あの時代にどうしても仏教が必要だったというところまでいきたいのです。そして、仏教と人間が生きるということを結びつけて、一つの大河ドラマ、大げさにいえばビルドゥングス・ロマン(主人公の内面的な人間形成の過程を描いた作品のこと)のようなものを、描きたいと思っています。
(1980年、月刊「コミックトム」のインタビューより)

そう手塚氏は言っておられる たしかにブッタを読んでみると 未熟なブッタが成長して この世の理不尽さに悩む

人々に 行動し また生きていくという疑問に対し 法話というたとえ話で説得していく姿は 見事である

また 冒頭の行き倒れのバラモンの僧を救う話は 吃驚した 
僧が道で倒れ 動物たちが助ける話であるが たしかキツネ 熊 ウサギの三匹の動物が 僧を助けるため
熊は川で魚を獲り キツネは 土の下に隠してあった山葡萄を持ち寄る ウサギは僧に火を起こさせ その火に
向かって身を投じる 丸焼けになったウサギを天にささげ 熊もキツネも僧も天に向かって大いに悲しむのだ

 また動物の命を粗末に扱うナラダッタはアシタ道師に一生四足の動物のような生き様をしろと命ぜられる

と このように手塚氏は今を生きる同志は動物も人間も一緒という価値観を貫くのだ どこかの宗教のように
人間以外の動物は 人間のために生まれてきたという価値観と全くの真逆なのだ

この価値観は 自分に対して苦しみを与えたものには苦しみを与えるのか  それとも自分が苦しみを与えられたら 他には絶対苦しみを与えないと教訓として誓うのか 善と悪との分かれ道ともなる出来事である

 かくいう 現実は人間は 弱く 虐められたら 人に虐めてやるという人も多い しかしながら手塚氏はニヒリスト
ではなく 人に嫌がることをされたなら 決して自分はその体験を踏まえ 決して嫌がることをしないヒューマニスト
だと信じる

 ブッタはまたスードラ(奴隷階級)にも 深く描きこんでいる 同じ人間なのに差別意識が生まれる愚かさ
周りの人たちの冷たい目線 人間は弱くて醜いものだと これでもかというぐらい描いている

そして人間に利用される弱い動物たちの悲しい運命 しかし そんな人間も短い一生であり 生老病死に
悩み苦しみ 息絶えるのが現実である 人はなぜ生まれてきたのか これがブッタの主題である
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