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k嘉七の時代

k嘉七の時代

私の祖父 K嘉七は始祖が後三条天皇で 右大臣 左大臣が出た 名家の中の名家でした

岐阜県北方町柱本の朝日神社の記録が残っており この神社はK嘉七の氏神でもあった

K嘉七は長男として生まれ 明治時代の日本に国力を付けた三井家関係の製糸工場を営んでいたのだった

数百名を擁する旧士族の娘たちの力で世界一の製糸業に入っていったのだった

時代は昭和6年 昭和恐慌で山形県は冷害に苦しみ 次女の齋藤ちやえは三井家の関係で柱本に来たのだった

そしてK嘉七と齋藤ちやえは深い中になり 函館へと逃げる しかしながら本妻の強力な念により 光が3歳の時に死んだのでした

それからはK嘉七と継母のところで苦界へと入っていったのだった

齋藤ちやえ一族の長女の長男 鈴木千代松は直系の清河八郎の子孫として養子に出されたが

20歳年上の鈴木千代松氏が陰ながら見守っていたそうです

清河八郎の子孫は東大名誉教授の相良守峯氏や東大名誉教授の相良守次氏 など東大卒や

士官学校卒 米大卒のオンパレードで 顎で使っていたのがK嘉七なのだった

鈴木千代松氏マサチューセッツ工科大卒業 晩年博士号取得

鈴木千代松氏 (2)
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